難しい話題が続いたので、

今日は軽く、エッセイのような

記事を書こうと思います。

 

写真を撮るの楽しいよねー、

という話です。

 

 

 

 

 

 

 

私はカメラマンの父の影響で

写真を撮るのが好きなのですが

 

父はプロダクトを、撮影スタジオで

その商品がいかに素敵に見えるか、

見た人に特徴をきちんと伝えられるか

「考えて写真を撮る」ことのできる

プロのカメラマンです。

 

 

対して私は、

日常の中で「撮りたい」と思ったら撮る

ただの写真好きです。

 

 

今は通勤が自転車な上、

早起きが苦手でギリギリに

家を出るので

 

写真を撮るタイミングが

なくなってしまったのですが

 

 

学生の頃は

たとえ365日中3日しか使わなかったとしても

毎日カメラを持ち歩いていました。

 

 

 

パソコンとハードドライブと

その他資料などでパンパンのリュックに

さらにミラーレス一眼を入れて

片道1時間半の道のりを行き来するのは

まぁまぁの苦行でしたが

 

不思議なもので

 

「リュックにカメラが入っている」

というだけで

無意識のうちにシャッターチャンスを

探しているのです。

 

 

 

これは、帰り道地元の駅で撮った、ハトです。

 

この写真が良い写真かどうかは別として、

私にはこの瞬間が

写真に納めたくなるような

特別な瞬間に感じられたのです。

 

 

つまり、カメラを持っている間は

世界(の見え方)が変わるんです。

 

 

 

 

 

「忘れたくないな」

と思った時にシャッターを切る私は

友人を断りもなくバシバシ撮るので

嫌がられていました。

 

 

 

だけどある時、友人の一人が

 

「写真を撮られるのは嫌いだけど

〇〇(私)に撮ってもらった自分は

カッコよく見えるから好きだな」

 

と、何気なく呟きました。

 

 

すごく嬉しくなって

もっと撮りました。笑

 

 

 

アメリカの大学に通う友人の家に

泊めてもらっていたとき、

何もかもが新鮮で

写真を撮りまくっていたら

 

 

「〇〇(私)の写真を見たら

見慣れた風景のはずなのに

すごく特別に見える」

 

 

と言われました。

 

 

 

 

 

だんだん、気付いてきました。

 

写真に映るのは、

ただ目の前の景色を四角く

切り取ったものではなくて

 

「私」というフィルターを通して

見た世界なのだということ。

 

 

 

 

父は恥ずかしげもなく

胸を強く叩き

 

「写真はな、ココで撮るんや」

 

と、言います。

 

 

その意味が、わかった気がしました。

(父は私の写真をあまり褒めてはくれないのですが。笑)

 

 

 

 

 

カメラを持ち歩くと世界(の見え方)が変わる。

そんなお話でした。

 

 

 

 

 

☆毎日19時に更新中!

 

 

 

 

 

 

 

☆毎日19時に更新中!