今日は個人的な話です。
タイトル通り
「何を描けばいいのかわからない」
と思っていた私の話。
多分、私だけじゃないと
思うんです。
絵を描くのは好きだけど、
何を描けばいいのか
わからない人。
私も未だにはっきりとは
わからないんですが
うっすらとわかるまでに
なってきたので笑
共有しておきたい、
想い出話をひとつ。
◇
小さい頃から絵が好きでした。
見るのも、描くのも。
私はどちらかというと
自由にのびのび描く、
というのが苦手で
「正解」を求めるタイプでした。
その方がわかりやすく
褒めてもらえるし。
テレビで観るアニメや
読んでいる漫画のような
絵を「上手に」描きたい、
といつも思っていました。
小学校低学年くらいまでは
それなりに自由な発想を
交えて描いていたのですが
高学年になる頃には
自分の絵の下手さが嫌になって
いかに本物そっくりに
描けるか、と模写ばかり
するようになりました。
自分で考えて描くと
デッサンもへったくれもない
下手くそな絵が出来てしまうので
上手に描いてある絵を
まるっと写せば
自分が物凄く上手に
なったような気になれたのです。
そんな風に描いてきたから、
「自分の描きたいもの」は
いつもよくわかりませんでした。
高校生の頃は
パケ放題の携帯で
ネットの波に潜っては
お気に入りの
イラストレーターを見つけ
どうやって描いているのか調べ
模写ではなくても
同じようなテイストで
描けないかと試し
私の創作人生は常に
模倣です。
大学は美大へ行きましたが
デザイン系の学部へ入ったので
「絵を描く」ことは殆どなく、
あっても
「ここにこういう絵を入れたい」
という目的に沿ったものを
描く、という感じだったので
純粋に
「描きたい絵を描く」というのを
まったくやらずに過ごしていました。
そんな中、
のんびりとしたうちの学風には
珍しい程の創作バイタリティに
溢れる友人の制作を
手伝うことになりました。
彼は映画監督になる為
一直線に突っ走っていたのですが
大学に入るまでは
ずっと油絵を描いていたらしく
県代表に選抜されたりと
何を作るにも全力で臨む
熱量の高い人でした。
ある時食事をしながら、
「どういうものをつくりたいのか」
という話になりました。
私は人の制作を手伝ってばかり
だったので
あなたが何かをするなら
私も手伝うよ、
と言ってくれる人は
たくさんいました。
だけど、何もしていなかった。
「何が描きたいのか
わからなくって。」
正直に言った私に、
彼はお国言葉の広島弁で
真摯にアドバイスをくれました。
「好きなものを誇張して描くんよ。
例えば夜の風景を描くとして
月が大好きなんじゃったら
月をめちゃくちゃ大きく
描けばいいし
青色が好きやったら
全部の風景を
青で描いたらええし。」
「それはわかるんだけど
何のために描けばいいか
わからないと描けないし。」
私はデザインにどっぷり
浸かっていたのもあり、
創作にいつも「理由」を
求めていました。
人に見せるものは
見る人へ向けた
メッセージであるべき。
だとしたら、きちんと
伝わるものでなくてはいけない。
「そんなもん、」
「たった一人の為に向けてつくれば
それでええんじゃ。」
当時の私はその内容を
真に理解することができず
「何を偉そうに!」と
イラッとして終わりました。笑
実際イラッとした態度を
とったような気もします。
申し訳ないことをしました。
今になってわかるんですが
これって真理ですよね。
創作はデザインと違って
誰に頼まれて描くわけでも
ないのですから
自分の心が惹かれるものを
素直に突き詰めて
しつこく、しつこく
描けばそれでいいし
それを繰り返すうちに
自然と
「もっとこうしたい」が
出てくる。
やってみて初めて、
実感できるものですね。
わからないから描かない、
は、一番の悪手だったと
今では思います。
人の作ったものを
素直に受け取ることは
得意なのに、
どうして自分の作ったものは
同じように誰かに
受け取ってもらえると
思えなかったんだろう。
大好きな作家さんたちが
みんな何か物凄い
大義名分をもって
創作しているような
そんな風に
思っていたのかもしれません。
そんな熱量、
私にはないなぁと
どこかに冷めた私が
いたのだと思います。
今でも私は「何を描くか」に
悩んで迷っていますが、
「色が綺麗な絵を描きたい」
という気持ちはいつもあります。
色を一番素直に感じてもらえる
絵にたどり着くまでの道半ば、です。
それから、
「たった一人の為に作ればいい」
というのも。
誰か一人に向けて作ったものは
不思議と他の誰かの為にも
なるんです。勝手にね。
不思議なんだけど。
って、BUMP OF CHICKENの
藤原さんが言っていました。
確かに、
よく海外の作品とかだと
「◯◯に捧ぐ」みたいなのが
入ってることあるじゃないですか。
あれって、本当に
その人のことを想って
作られたんだと思うんです。
でもその作品に、
共感して、感動する私がいる。
細かい状況や設定が
自分自身の境遇とは違っても
「想い」を共有することは
不思議とできちゃうんですよね。
なぜか、
自分に重ねられてしまう。
だから安心して
誰か一人に向けて
作ったものを
大衆に見せていいわけです。
その誰か一人が、
自分自身でもいいのです。
あと大事なのは、
失敗でも完成させること。
終わらせないと、
どこがどうだったのか
わからない。
失敗でいいから
沢山やってみること。
これに尽きます。
私は大学生の、時間が
いっぱいあるうちに
これに気付くべきだった、
と心の底から思います。
まぁ何にせよ。
気付くのが早いに
越したことはないですが、
遅すぎるということも
ないので、これからも
じっくりのんびりやります。
◇
何を描いたらいいのか
わからない、という方。
一緒にのんびり探しましょう。
自分の中の「ときめき」に
敏感になって、
描いては「違う!」を
繰り返して。
少しずつ、近づいていきましょうね。
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